推しの顔がかわいい

新型ウイルスだなんだで、我々が愛してやまないエンタメ達、狭い箱から大きなドームまであの無数の客席に詰め込まれてステージから無数の光やその人の人生やその他諸々を只享受するあの美しい光景の全てが今たいへんな目に遭っているという。私はここ10年は主にお笑いやアイドルや音楽のライブのチケットを取り続ける生活を送っていて(最近は声優のライブが主)、そういう生活サイクルの人は私の他にもたくさん、それはそれはたくさんいると思う。別にそれの為に生きているとは全く思っていないのだけど、こうしてそれらが突然、一時的だとしても失われてみるとそれらがどんなにか人生を輝かしてくれていたのかと、わかっていたつもりだったけども、こんなにもかと愕然とする。そしてその愛してきたものたちが今中止や延期に追い込まれることで信じられないくらいのダメージを受けていることのなんと痛ましいことかと(余談だけど父の仕事もダメージ受けてて生活的にマジでひと事でない)。そんななかでも楽しみにしていた人達の為に無観客ライブ配信やその他諸々の楽しみを提供してくれる人達がいる。これはマジですごくない!???何!?ダメージを受けてるのはあなたがたなのに、まだなにか提供してくれようとする。私はなにかを好きになるにつけ人より「応援」という気持ちが薄く、ただ与えられるものを享受して対価としてお金を出す、みたいな感覚が近い。私の場合、買い支えるみたいな、俺が育てたみたいな気持ちは不健康な気持ちに発展しそうだからだ。感謝の気持ちすら伝えようとという気持ちが薄い、ファンレターや差し入れもあまり送らない、ラジオにメールとかもあまり送らないタイプのオタク。ただこんな、だただ己がたいへんな時、ファンに向けてただ喜ばせようとしてくれることがあまりにも、あまりにもすぎて、いつか感謝というかこの泣きたくなるような、道という道に花を敷き詰めてあげたくなるような気持ちを、少しでいいからいつか渡したい。いつも与えられるものだけでそれだけで1000年生きられるようなのに。ひかりふる道をゆく人たちはいつだって私の道も照らしてしまう、どうかあなたがたがゆく道が何者にも邪魔されず、ずうっとあたたかくひかっていますように。
今の最推しの話だけど、昨日自宅で撮ったと思われる愛猫との自撮りツーショをあげてくれてそれがめちゃくちゃめちゃくちゃかわいくてなんだかめちゃくちゃハッピーになってしまった。推しの自撮りは健康に良い。こういう、現場に足を運べない時期に、自発的に顔を見せてくれること、めちゃくちゃに救いじゃん。それだけで日々が色づくこと救われること、広い定義ではこれはもう恋ですよ。本当に君は顔がかわいい、全然タイプじゃないんだけどな。そのかわいい顔を見られるだけで3000年生きてしまうな。好きだ。