好きな物を好きと言う

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下北沢の楽園という劇場でダーリンハニー単独ライブ「Trainspotting」を観た。ダーリンハニーをこんながっつり観るのははじめてってくらいだったけど、すっごく面白くてずっとドキドキした。どのコントも映像もすっごく面白かったし、どれもすごく丁寧に造り込まれていて、2人とも大声で「僕が好きなものはこれとかこれとかこれのこういうとこ!」って叫んでるみたいでラブレターみたいだった。急に自分の話だけど、私はここ何年かライブ通いばっかして同じような趣味の人と好きなものの話ばっかりしてるから、急に会社の飲み会とかに放り出された時に引き出しが無さすぎてなんにも言えなくなってへらへらするだけの事が多々あり、最近「好きなもの(お笑いとか)ばっかりが好きすぎてそれで自分が形成されてるように思っちゃうけどそういうのが全部とっぱらわれちゃったら何が残るんだろう」という事をよく考えていて、それが朝起きられない自分とか掃除が下手な自分とかあの人が嫌いとかそういう小さな規模のめちゃくちゃ嫌なものだけだったらどうしようとか思ってたんだけど、ダーリンハニーを観ててなんでかとっぱらわれた後に残るものってやな自分とかそんなちっちゃい事じゃないんじゃって気がした。UKも鉄道もノー知識でカタカナばっかでなにがなにやらでも、どれもめちゃくちゃ面白かったし、吉川さんもナガシもお互いの好きな事をぶつけるでもなく丁寧に並べて、それはすごく楽しそうでそこにはじんわりとした多幸感があった。伝わる伝わらないって本質じゃないんじゃないの、好きなものの話してる君の横顔がいいねとか好きな友達が好きなものの話してる時の楽しさって熱がある感じあるな、だから全部とっぱらわれた後ってそういうのが残るんじゃないのかなって思ったら楽になるな。たとえばUKとか鉄道とかとっぱらって見た時にダリハニが見えなくなるなんてことないよな、絆とか愛情とか言ったらサムイけどそういう何かあったかい確固たるものが残ると思う。話をするのは下手だけどなんとか仲良くなりたい人の好きなものの話だったら聞きたいし自分の好きなものの話も聞いてくれたら尚いいし、趣味が合うとか合わないとかどうにでもなりそうだな。好きな物を大好きってちゃんと叫べるダーリンハニーを観て大好きだって思った、楽しそうな君といると楽しいよね。