火曜日

中学生くらいから「ああやらなきゃいけないことが本当に大事なやらなきゃいけないことがいっぱいあるのに、自分がだらしなくて怠け者なせいでまったく出来ていない」という鉛みたいな強迫観念が足の爪先から喉元までぎゅうぎゅうに詰まってて今日のこの一瞬まで全く消えない、そりゃ楽しい時は忘れるんだけどすぐ戻る、やらなきゃいけないことが出来ていないせいで理想のかっこいい自分にイチミリだって近づけない、宿題とか課題とか受験のせいでこんなずっと重い気分なのかと思ってたけど大人になって宿題が無くなっても全然無くならない。今書いてる文だってこのブログだって全部全部言い訳でしかないし、ぬるま湯みたいな逃げでしかなくってまた言い訳してやらなきゃいけないことから逃げてるって悪い事してるわけでもないのに罪悪感ばっかり溜まってく、自意識が過剰すぎるのでもう手放したいってずっと思ってるし自分語りのクソダサさもよっくわかってるから痛くてしょうがないよね。ちゃんとちゃんと見たもの感じたこと全部消化して形にしたり、形にしなくても飲み込んですっとエネルギーに出来る人がうらやましい、こんなのは超カッコ悪くって許せないし電車でゲロ吐く酔っ払いが毎日憎くてしょうがない。あなたはスッキリしていいですね。それともみんなみんなこんな重い鉛が喉元までオエッてきてるのになんでもないような顔ですごしてるのかしら、こんなん書いたり人に言ったりしてちょっとだけイチミリだけスッキリしたって明日にはまた喉元まで上ってくるよ、明日こそは吐き出したいって毎日毎秒思って、こんなのすら秘密に出来ない自分に全部全部吐き出せる日なんてくるのかな。大きい音で音楽聴いたり面白くって笑ったりする時は忘れられるんだけど…って今アンディモリ聴いてて思ったけどそういうのって、忘れる為にあるんじゃなくて吐き出すためにあるんじゃないの、幸福も不幸も吐かなきゃ喉元まで溜まる一方なんじゃないの、そんでもしかして一気に吐いてスッキリするものじゃなくて一生かけてちょっとずつしか吐けないんじゃないの、それが仕事だったり表現だったり言葉だったりするんじゃないの?!うわー長い戦いだぜ!!小出しにしたら小作だしドバッと出したら大作だし大作を吐ける器じゃない可能性高いけど明日こそはって毎日の中で掃除したり謝ったり文字ツメたりありがとうって言ったりしよ。げろげろ