形だけ変わっていくのだ

三日月ロック その3

三日月ロック その3

なんかもうどうにもならないなあというジコケン、溜まる洗濯物と貯まらない貯金とかがどうにも嫌でなんか変わってく物が欲しいなあと思い、荒井良二さんの絵が描かれた美しいカバーの手帳を買った。発色が美しく金色の円がシルクプリントで刷られてて本当にきれいでかわいくてずっと見てられる。先日読んだ誰かのコラムに、その日の反省点と、よかったことと、目標を毎日書くといい、というのがあり今のところ実行出来てるんだけど(土日すっかり忘れるんだけど)、記録してわかるのがやっぱりやなこともいいこともその時限りで当然だけどすぐ終わるってこと。いいことがすぐ終わる事に対しての絶望とやなことがすぐ終わる事に対しての希望、シーソーに乗せたら同じくらいかもしれない。びっくりするくらいビビる打ち合わせとかびっくりするくらいすぐ終わるし吐きそうな事も金曜の夜に残ってる事ってまあ無い、毎日退屈だったり嫌な事がどんなにあってもどうせすぐ楽しくなったりウットリするような言葉とか文章、テンションあがる曲とか劇的な瞬間とかステージライトが眩しかったり、そんなんが何分か何時間か何日か後にはどうせすぐ訪れるんだから。こんなもんにも希望が訪れるんだから世の中ってやさしいですね。自分にとってなによりの恐怖って憂鬱でも傷付く事でもなく5秒間より長い退屈で、そんな退屈はすぐ飛ばしてくれるものばっかりが溢れててありがたい。機嫌が表に出る人って嫌いなんだけど最近私それなんじゃないかって自覚してもうめちゃくちゃ嫌なので、なんとかいつも翌日の希望の事を思いたい、記録するとやなこととかがほんっっとにしょーーーもなくて自分の小ささにビックリするんだけど、ちいさないいことをいいことと思えるのはなんか豊かになった感じがしてなんだかいいよね。そんで反省はちゃんとその日のうちに処理しよう。
無理にあげたテンションはいつか下がるし手帳だって雨に濡れたりグシャッとしちゃったくらいできっとこの高揚感もあっさり色褪せちゃったりするかも、いや多分するんだけど、だって日記が3日以上続いたことなんてなかったし片した部屋も1週間たったら散らかるし、帰り道はいつだってダッシュしたいくらいテンション高いけど朝にはまた地面転がりたくなるしね。でもまた思い出したらきれいな薄紙に丁寧に文字を乗せたり出来るかも、そのくらいの望みを持ったっていい気がする。だってどうせまたどうにもならない陰鬱もバカみたいに忘れて全部が美しい日くらいすぐに現れるんだからね。

言葉を尽くしても足らない

人間

人間

プレゼンが苦手です。伝えるのが苦手だから絵とか言葉以外の表現に逃げるのは絶対的に間違いで、結局言葉にしてそれをプレゼンしないとイチミリだって伝わんなかったりして、やっぱ逃げらんないんだってがっかりする。この言葉で合ってるのかとか、素っ頓狂なこと言ってんじゃないかとか、ああまた空気読めない、配慮が足らない事言っちゃったかもとか、そんなんが全部全部怖いじゃん、しかも実際よく配慮が足らない事を言ってしまって毎日毎日後悔して苦しい、って言うことで馬鹿だってこと自覚してわかってるんですってことをアピールしたいってことじゃないんですけど、でもやっぱ馬鹿を自覚しないくらい馬鹿ならなあとか思っちゃうくらいには馬鹿だし、昨日の事、1年前、中学生の頃の失言とか忘れたって言い聞かせながら覚えててそんなん全部捨てられないまま身動きとれないまま埼玉の、生まれた時から住んでるところで身じろぎしながら生きてくのかと思うとうんざりする。適当に口から出るこういう目が滑るような文とか言葉でそういうので誤魔化しながら、いや誤魔化せてないし劣悪化するだけだけど、こういうので遠回りしながら歪さを、一本の木から掘って型作るみたいにして、そんで伝えたいとかって思うことってせいぜい3つくらいで、開いたかえるの標本みたいになったそれがきれいだったらもうそれでいいって思う、それがきれいじゃなかったらもう全部捨てなきゃなあ。仲良くしたい人と話すのが好きなんだけど、仲良くしたいなあと思えば思うほど身構えて言葉を尽くして本質は伝わらなかったりして、本当はうわずみだけ全部あげれたらいいんだけど薄ら気味悪いよね。


火曜日

中学生くらいから「ああやらなきゃいけないことが本当に大事なやらなきゃいけないことがいっぱいあるのに、自分がだらしなくて怠け者なせいでまったく出来ていない」という鉛みたいな強迫観念が足の爪先から喉元までぎゅうぎゅうに詰まってて今日のこの一瞬まで全く消えない、そりゃ楽しい時は忘れるんだけどすぐ戻る、やらなきゃいけないことが出来ていないせいで理想のかっこいい自分にイチミリだって近づけない、宿題とか課題とか受験のせいでこんなずっと重い気分なのかと思ってたけど大人になって宿題が無くなっても全然無くならない。今書いてる文だってこのブログだって全部全部言い訳でしかないし、ぬるま湯みたいな逃げでしかなくってまた言い訳してやらなきゃいけないことから逃げてるって悪い事してるわけでもないのに罪悪感ばっかり溜まってく、自意識が過剰すぎるのでもう手放したいってずっと思ってるし自分語りのクソダサさもよっくわかってるから痛くてしょうがないよね。ちゃんとちゃんと見たもの感じたこと全部消化して形にしたり、形にしなくても飲み込んですっとエネルギーに出来る人がうらやましい、こんなのは超カッコ悪くって許せないし電車でゲロ吐く酔っ払いが毎日憎くてしょうがない。あなたはスッキリしていいですね。それともみんなみんなこんな重い鉛が喉元までオエッてきてるのになんでもないような顔ですごしてるのかしら、こんなん書いたり人に言ったりしてちょっとだけイチミリだけスッキリしたって明日にはまた喉元まで上ってくるよ、明日こそは吐き出したいって毎日毎秒思って、こんなのすら秘密に出来ない自分に全部全部吐き出せる日なんてくるのかな。大きい音で音楽聴いたり面白くって笑ったりする時は忘れられるんだけど…って今アンディモリ聴いてて思ったけどそういうのって、忘れる為にあるんじゃなくて吐き出すためにあるんじゃないの、幸福も不幸も吐かなきゃ喉元まで溜まる一方なんじゃないの、そんでもしかして一気に吐いてスッキリするものじゃなくて一生かけてちょっとずつしか吐けないんじゃないの、それが仕事だったり表現だったり言葉だったりするんじゃないの?!うわー長い戦いだぜ!!小出しにしたら小作だしドバッと出したら大作だし大作を吐ける器じゃない可能性高いけど明日こそはって毎日の中で掃除したり謝ったり文字ツメたりありがとうって言ったりしよ。げろげろ

ノーヒットノーランで君がヒーロー

K-PRO耐久LIVE第二弾・モグフェス、8公演参加しましてまー全部超楽しくて本当にあっという間だった!8公演も観たかしらっていう、本当にすぐ終わっちゃって、まあ体はめちゃくちゃ疲れたけど、まーーすぐ終わっちゃった。まわりの人ほどそんなにライブ通ってないので、モグライダーの事好きかな〜観れると嬉しいな〜って思いだしたのここ1年くらいのもので、まわりの人みたいにたくさん観てないし知らない事ばっかりなんだけど知らないからっていうのも相まって、こういう言い方そんな好きじゃないけど俯瞰で見てる感覚がちょっとある、あーこういう言い方は本当にダサくて好きじゃないんだけど(渦中にいる方が絶対的に楽しいんだから)!遠巻きに見てる憧れのクラスメイトみたいな。だからモグライダーが大事な人や場所をすっごく大事にしてて、その人達から大事にされて、っていうのを目の前でたくさん見せてもらって、ああやっぱりかっこいい!ってそりゃ思うよ。
2公演目の芝セレクションネタライブがすっばらしくて、1番手のサッチから全組めっちゃくちゃ面白くて面白すぎて途中ぼうっとするくらい面白かったんだけど、芝さんによる各芸人さんの紹介がまたとんでもなく素晴らしかった。エルカブキ上田さんの事を「この人には嫌われたくないなあと思って生きてる」とか、錦鯉(私ごく最近錦鯉を認識したんですけどすっっごい面白いですね!!自分のTLでやたら人気で気になってたんだけど知れてほんとに良かっためちゃくちゃ面白いすごく好きです、あと隆さんかっこいい)のことは「もし自分にお兄ちゃんがいたら隆さんみたいな人だったと思います、で『お兄ちゃん、どうしてこの人と仲良くするの?!この人の肩もつの?!』っていうのがまさのりさん」。すっごいたまらない表現をするな芝さんっていう人は!ってはっとして、ああこの人も宝物を集めて歩いてる人だと思った。
全部背負い込むタイプの人がいると思うんですよ。ハマカーンの浜谷さんとかもそうだと思ってて、まあ勝手に思ってるんだけど(どうだよ気持ち悪いだろう)、自分のやさしさはぽろぽろまわりにこぼして振り返らなくって、かわりに宝物ばっか両手に抱えて歩いてく人、宝物のことをひとつひとつよっくわかってて、全部大事に出来る人。そういう人ってヒーローだ。芝さんのヒーロー感ってそういうことかもわかんない。遠目で見てるとヒーローは弱音も吐かないし、全部背負い込んで疲れちゃわないのって思うんだけど、ソロライブで観た甲子園(はじめて観た)の芝さんはキレッキレでともしげさんは汗だくだけど超面白かった、2月だけどあの甲子園は炎天下の夏だったし全力の二人はまぎれもなくヒーローだった。いつだってみんなヒーローが好きだ。
ヒーローはどこまでも全力ダッシュで駆け抜けてって欲しい、ぽろぽろこぼしたやさしさはみんなの胸でちいさな星みたいにいつまでも光るから君の足元を照らすよ。

繰り返す夢の話

お笑いを好きになったのが19の時だから6年くらい経つ、まわりの人に比べたら結構短い方だと思うけどそれでも一般的に人生で一番輝かしいと言われる20代前半に私は何をとか思わないこともない、このままこういう生活がずっと続くのかな?と思うとハチミツとクローバーの中で誰かが「見送るばっかりで教師なんてのは永遠に卒業出来ない、学校の亡霊みたいなものなのか」というような事を言ってたのを思い出す(これは2年周期くらいで移り変わってく客席をずっと見ていく芸人さんの方が思う事かもわからないけど)。
長く何かをずっと好きな人がカッコいいと思う、私はミーハーで飽きっぽいし雑だから何かをずっと大事にしてくのは結構難しいって事に最近気付いた、だから長く何かをずっと好きな人に強烈に憧れる。
ところで今年のR-1ぐらんぷりがブッ倒れそうな程楽しかった、仕事でリアルタイムで見れなかったんだけど、とんでもない速さで進むタイムラインに一喜一憂して録画で興奮して声あげて笑ってそれはもう楽しかった。
最近マツモトクラブさんおもしろい~しかもかっこいい~!とかわーわー言ってヨシ本腰入れて推すぞー!と思ってた矢先に大活躍でー!もー!ストリートミュージシャンのコントと、2本目は御賽銭のコント。面白かったー!前々日に日本一のピンネタライブに行ったんだけど、そこで2本目の御賽銭を観れてよかった。ライブで観たものがテレビでどかどか受けてると興奮する。ていうか最近わーわー言ってたのも多分こう爆発する前の輝きみたいのに引き寄せられてたのかもしれないしまわりはとっくに見つけてた人ばっかりなのでどミーハーではずかしい!でも好き、もっとライブで観たい、追っかけたい、どこがどうこう好きとか言える程回数観てないからあんまし言及出来ないけど一人コントでこんなツボなのはじめてなので新鮮、すごく好き。優勝したJDことじゅんいちダビッドソンもバキバキに面白くって、やさしくてたのしい、最高の大会だった!まだまだ賞レース夢ばっかりある、全然ある。
長く何かをずっと好きな人がカッコいい思う。長く何かをずっと好きな人の好きな人にスポットライトが当たる時はその光景が美しくって涙が出る。でもスポットライトが当たる時のことは信じてたって信じてなくたっていいと思う。
お笑い好きになってからまだ短いけど本当にずっと楽しい、飽きっぽいからこれからも絶対ずっと好きとは言えないけど、悲しい事もたまにあっても、それも差し引いてこんなのがずっと繰り返してっていいように思えるくらいは。ここには夢ばっかりある。亡霊でいいよ、ずっと楽しいから追っかけるだけで最後の答え合わせの事なんて誰も考えてないよね。

どこにおってもかけつけよう

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シソンヌが好きだ、シソンヌ単独ライブ「trois」がそらー素晴らしくやっぱり好きだと思った。オープニングVから格好良過ぎてストライクすぎてもう涙目だったんだけど、最後まで最高に面白く最高に素晴らしかった。

私は多分甘やかしたり甘やかされたりするコントとか漫才がすっごく好きでそういうのにほっとするんだと思う。唐突だけど私には兄が2人いて、一番上の兄が全然好きじゃない、大人になってからよりいっそう受け付けなくなって、嫌悪感ばかり強くなる。彼は会社の寮に住んでいて家にはいないんだけど、時々メールとかフェイスブックの申請とかをしてくるのが気持ちが悪く、むかつくエピソードとかを思い出して一人でたまにふつふつと怒りだけ思い出したりする。で年末帰ってきた時なんか腹のたつことを言ってきたら無視してやろうとか思ってたんだけど(大人気ない)、いざ帰って来たら普通にベイマックスの熱さについて語り合ってしまい、いや必殺技がロケットパンチなのが最高だよね~!みたいな、ああオタクってほんと…と思ったんだけど、なんかこういう怒りとか忘れて居心地の良い方、怒った事とか忘れてなあなあになるって事が悪く無いことなんじゃないかと思った。怒ってる時はああこの気持ち忘れてなるものか、同じ分だけ絶対傷つけてくれるわって絶対思うんだけど。陳腐だけど結局家族なんだって、なあなあになるのがちょっと本質に近いってちょっと思えた。というのをシソンヌを観ると思い出す。シソンヌって特異なキャラクターのじろうちゃんに忍が翻弄されるというコントが基本だけど、なにがいいかって忍がちょっと優しい、甘やかしてる、辛辣なツッコミはじろうちゃんに向けられてなくて忍のひとりごとっぽい、傷つけない。それがめちゃくちゃ居心地が良くて、あんなオシャレなふたりをこう例えていいものかって感じだけど、オール明けの朝入るサウナにあるぬっるいお風呂みたい、眉毛のないお姉さん達でごったがえしてるやつ。複雑な帰り道をいつまでも覚えられないじろうちゃんを彼氏の忍が覚え方を教えるっていうコントなんかまさに甘やかしで、もうツンのデッッッッレデレでたまらなかった!これはトップリードとかが好きな人には絶対観ていただきたい。最高。そして最後のコントが認知症の症状が出始めてる母親と息子のコントだったんだけどまあ泣いた、うーんこれ笑えるのかなあ?と最初は心配になったけどちゃんと笑えたし、切ないオチと思わせてちゃんと笑えるハッピーエンドだったから泣きながら笑った。私はもの覚えが悪くって感動したことも楽しかったこともすぐ忘れるからこのコントのことは私もかきぞめにして壁に貼りたい、忘れたくないって気持ちも多分お風呂みたいなやつだ。

愛とか言いませんけど、なあなあになって許したり許されたりするのって家族とか好きな人とか大事にしたほうがいいものを大事にする手段だってそんなの周知の事実かもしれませんけど、やっぱりわかってなかったんだな、さんざ許してもらってきたのにそれに気付けてなかったことも多々あるかもしれない。シソンヌを観るとやさしくなりたいって思える。いやシソンヌのコントはバッドエンドも怖いやつもあるんだけど、根底にはやっぱぬるま湯が流れてると思う。あーやさしくなりたい!

つらつら

最近読んだり観たりしたものの話。

 

 

聲の形

根暗なので一回嫌いだわと思ったらそれ以降ずっと全力で避けて逃げるんでわりと友達少ないんだけどそうやって嫌なもの避けてるからどんどん人付き合いが下手になってってバランス感覚を失っていざって時しどろもどろになる。そういえば小・中学生の頃とかって人気者の子とか優等生の子とか普段優しい子だって悪口とかガンガン言ってたな、大人も大人だから言わないだけで、私性格悪いからあの子の悪口絶対言わないっていうのみんなそうなのかもわかんない、私もそうです。そういうのでガッカリしたりされるよりズカズカ踏み入って好きなとこ探したほうがやさしくなれるんなら努力したい、すぐビビるからうまくいかないことが多い、今年は人にビビらないようにしたい。

 

 

第4回馬鹿よ貴方は単独ライブ

去年会社の忘年会が恵比寿のお寿司屋さんのコースで食べたことないような美味しいお寿司が次から次へと出てきてそれはそれは幸せだったんだけどこの単独はそんな感じだった、飾らないカウンターで新鮮なネタがきゅっとしたシャリに乗って出てくる感じ。オープニングコントがシンプル且つ爆発的におもしろく心を完全に持ってかれてから18本ずっとおもしろかった。THEMANZAIのサーキットではじめて漫才を観て「わーこれダメだ超大好きなタイプの漫才だ」と思ってそれからあまり間を置かずこんな至極の単独ライブが観られてこれはダメだ大好きだと思った。食べ物で一番お寿司が好きなんだ私は。



ザンゼンジpresents「2015年のザンゼンジ

ミニ単独みたいな感じかと思ったら普通にがっつり単独じゃないのよ、コントたっぷりの企画Vありの演歌ありので盛りだくさんだった。ザンゼンジってミッフィーがどうあってもミッフィーであるところがおもしろい。ミッフィーが微笑むと笑っちゃう、かっこいいんだけどなんかやたらおもしろいから不思議。最後に作詞作曲ミッフィーのガチ演歌でフィナーレなのが謎で良かった、しかもこの演歌がやたらめったらよかった。嗚呼ザンゼンジ、今日から2人は一枚岩。ザンフェスからなんか現在進行形の青春を観せてくれてるような観ててワクワクする2人。オープニングVでは2015年年明け速攻誰よりも早くボケてツッコんだ、誰よりも早く星が駆けてくみたいに。

 

 

 
ショートストーリーロングコント第1回公演「カケル」

にんにんの胸のうちのあったかいとこまんま取り出して(トップリードの単独ではそれを和賀さんに全部あげてたんだけど)ぽとぽと落としてったら色んな人が拾って大事にしましたとさ、みたいなハッピーエンドの舞台。どのキャラクターも愛おしさに溢れてて全員がやさしさを取りこぼさず手のうちにこめて拡声器を通して客席まで届けてくれていた。普段なかなか演劇の舞台などを観ないので俳優さんがたくさん観られて新鮮だったんだけど、それにも増してやさしい雨の吉本さんの表現力が衝撃だった。迫力のド憑依。やさしい雨を観る機会がないので勉強不足故あんまり吉本さんの事を認識してなかったんだけどあんなとんでもない才能の持ち主だったとは!引き込まれて目が離せなかった、やさしい雨の長尺のコント観てみたいと思った。
カーテンコールでにんにんが客席に向けて「最近なにか無くしませんでしたか?それはカケルの仕業です、だから大丈夫です。なにかが欠けてそれで幸せになることもあります、だからいいんです」みたいなこと(ウロすぎるので違うかも)を言ってた、なんだいその幸福なシステムは。逆上がりが出来なくてよかった、第一志望の高校に落ちてよかった、サークルに馴染めなくて青春出来なくてよかった、劣等生でよかった、ずっとつまんなかったってよかったしずっと何か足りなくたってよかった。今が楽しいよ馬鹿野郎。