シベリア鉄道乗り換え

銀河鉄道の夜

銀河鉄道の夜

頭に花の輪っかを巻いている女の子、カップル、10代、すんとした顔の人、解放された空間にビビりながら暗い気持ちだけ抱えて時間が来るのを待って、時間になって現れた峯田和伸は白っちゃけた空の下で一等綺麗だった。
いつもいつもスピードが合わないと思う、歩くのが遅い、人の歩く速さに追いつけない、覚えるのに時間がかかる、母にはいつも愚鈍だと怒られる、自分の怠りのせいだと言われるし自分でもそうだと思う、好きな歌も漫画も本も全部全部自分とはスピードが合わない、全部遠いところの話だと思ってそういうとこが好きでもあるんだけどいつも仲間はずれの、時々話してはくれても2人で外では遊んではくれないクラスメートのことはいつだって大好きだったし大嫌いだった。社会人になってほんとにスピードが追いつけないって毎日思う、かっこいい友人達、ちゃんとした大人、先輩、全部また遠くなって本当に全然追いつけない。生垣に自転車で突っ込みたいのも地面を転がりたいのも大袈裟でもなんでもなくって、超高速で変わってく君達にいつも追いつきたいのは仲間はずれが一番嫌だなと思っちゃうからで、中学生の頃、まわりに必死で合わせてなんでもないような顔でいたのも、本当はひとりでいるのはなんでもないことで、でもそれを先生に見つかってかわいそうと思われるのはどうしても耐えられなくってなんでもないような顔で毎日毎日必死でくだらなかったな。 
大人になってからはじめて聴いた銀杏BOYZ銀河鉄道の夜を聴いた時、はじめてスピードが合うような気がした。(ゴイステのは知ってたけどこっちのが合ってるように思った)世界がスローになる瞬間が確かにあってその時だけスピードが合う。
1人でボーイズと名乗る峯田の背景には白い布に薄水の空が透けて、東北へ向かう新幹線が時折走った。罵倒を祈りと言い、罪を歌うと言った峯田の声は生まれて育った埼玉の、高校の最寄りの駅の忌々しいコンクリートと、蛙の腹みたいなさいたまスーパーアリーナの屋根に滲んで、瞬きも許されず、ずっと世界が止まってるみたいだった。
ところでここしばらくでんぱ組.incが好きなんですけど、先日行われたアルバムのツアーで地元に来てくれて。結構な前の席で、そんな近くで彼女らを見たのは初めてなんだけど、みどりのサイリウムを振ってると、見てくれるんですよ夢眠ねむさんがこっちを、それでふわっと笑ってくれたりするんです(こっち見たって錯覚かもしんないけどさあ)。それでもうこれはすごいと思って、これがアイドルかって、だってこんなステージ上の女の子に微笑まれて恋でもないのに少女漫画よろしく胸がキュンとしたりすることある?!っつー、足元がふわっとしてねむさんのまわりの空気がピンク色に柔らかくなって目の奥が熱くなる、ステージ上の人にその一瞬心を奪われるっていうその瞬間の速度は確かにスローモーションですごい!ねむさんが笑うと時間がふわってなるんだよ、ねむさんすごい。魔法少女未満の魔法の強さ半端じゃない。スローモーションの時は気持ち悪いことを言うとちょっと神様みたいに思うけどそれって自分の心に住みついた時点でちょっと偶像だな、アイドルとはよく言ったものだな、アイドルはすごい!
なんか似てると思ってアイドルの話も入れたけどあんま関係なかったかもしらない。いや峯田もねむさんも、心にちょっと住み着いたらそれでもうやってける感じしたのが似てると思ったんだよなあ。

全部全部全部のスピードについていけなくても持久走で最後のグループでも寄り添うスピードのものは確かにあるなら大丈夫な気がしてきてて、それって偶像以外にも、信頼出来る人と話してる時とか腑に落ちた瞬間とかにも潜んでる感じがあって、それは偶像でなく実像でシャッター切るみたいに焼き付けて、心臓に近い場所で何度でもスローに再生するんだろうな。

アンコールで出てきた峯田の下手くそなラップで時間ちょっと動いてそのまま月曜日まで眠って、そのまま日曜日のスローバラードを歌うよ。

輝き始めたショッピングモール

魔法のバスに乗って

魔法のバスに乗って

下北沢に行く時は小田急線から曽我部恵一BANDの魔法のバスに乗ってを聴く、ゴキゲンにちょっと浮かれなきゃ気負いしてしまう街だとずっと思ってて、いつもほんのちょっと無理してテンションをあげる。
下北沢大興行に行ってきた。8時半頃に起きて仕事の疲れも取れてないし眠すぎてもう午後から行こうかなとか思ったけどなんとか家を出て自転車飛ばして駅のホームでサンドイッチ食べて(品がないけど駅のホームで冷たいサンドイッチ食べるのがとても好き)1時間半くらい電車にゆられて南口出て銀行前に人がたくさん、見知った友達が何人か、話してるうちにまた何人か増えてっていういつものようなことがあんまりない午前にある新鮮さでちょっと浮かれながらリバティに並んだ。
ライブの細かい感想はいつもうまく書けないので書かないけど(1日目は磁石寄席スパローズ寄席かもめんたる寄席アルコ&ピース寄席、2日目はハマカーン寄席と本屋でとにかく大喜利をするライブを観ました)皆様と同じく色々思うとこあったけど好きな人達の名前がついたライブ名が嬉しかったし、やっぱり好きな人達はめちゃくちゃおもしろく、知らなかったけどめちゃくちゃおもしろかった人達もいっぱいいてトータル昼間からこんなにライブ観れてすごく楽しかった(アルコ&ピース寄席がとくに好きでした)スパローズ森田さんがいない寂しさはめちゃあったけど!!!!!
ライブの楽しさもあるし、遠方から来られた友達とかお笑い好きになった頃知り合った友達とか普段の面々とか、昼間の街を歩くだけでちらほら遭遇したりしてそれがすごく楽しかった、隙間の時間持て余してカラオケしたりダラダラ時間潰す感じとかも学生時代っぽかったし、友達と店にいたら別の友達が偶然やってくる感じとか、晩御飯が楽しくて時計見るの忘れて終電ダッシュする感じとか。
大森靖子さんが絶対少女というアルバムの少女3号という曲の解説のなかで「結論、好きな街っていうのは好きな人がいるだけの街だ。故郷の愛媛の人は優しいんだけど、ヌルくて、私にはすごく苦しくて。東京っていうひかりに蛾のようにむらがる人達がすき」と書いていて。前は私埼玉県民だから東京が好きでいつも浮かれるのかしら、とか思ってたけどそういうことなんだろな。新宿の汚さとか変な人がいっぱいいる感じとか大嫌い、なんで大嫌いかっていうと馴染めないからって主観でしかないんだけど、でも新宿にはV-1もバティオスもプラスワンもあるから新宿のこと超好きです。高円寺も嫌いだけど座・高円寺があるから超好きだし、新大久保は本当に本当に嫌いだけどネイキッドがあるから大好きだし、下北も本当は大嫌いだけどみんなに会えるから超大好き。超大好きな街で好きな人達と好きな人達による好きなライブが一日中観れたらお祭りじゃんねー、K-PROのぶっ通し興行とかもそういう楽しさが強かった。ああ楽しかったな。街に馴染めたためしなんか一度もないしまあ人に馴染めてるかどうかもそれもよくわかりませんけど君がいればそこは東京だし悪い街でもいいのだ。

形だけ変わっていくのだ

三日月ロック その3

三日月ロック その3

なんかもうどうにもならないなあというジコケン、溜まる洗濯物と貯まらない貯金とかがどうにも嫌でなんか変わってく物が欲しいなあと思い、荒井良二さんの絵が描かれた美しいカバーの手帳を買った。発色が美しく金色の円がシルクプリントで刷られてて本当にきれいでかわいくてずっと見てられる。先日読んだ誰かのコラムに、その日の反省点と、よかったことと、目標を毎日書くといい、というのがあり今のところ実行出来てるんだけど(土日すっかり忘れるんだけど)、記録してわかるのがやっぱりやなこともいいこともその時限りで当然だけどすぐ終わるってこと。いいことがすぐ終わる事に対しての絶望とやなことがすぐ終わる事に対しての希望、シーソーに乗せたら同じくらいかもしれない。びっくりするくらいビビる打ち合わせとかびっくりするくらいすぐ終わるし吐きそうな事も金曜の夜に残ってる事ってまあ無い、毎日退屈だったり嫌な事がどんなにあってもどうせすぐ楽しくなったりウットリするような言葉とか文章、テンションあがる曲とか劇的な瞬間とかステージライトが眩しかったり、そんなんが何分か何時間か何日か後にはどうせすぐ訪れるんだから。こんなもんにも希望が訪れるんだから世の中ってやさしいですね。自分にとってなによりの恐怖って憂鬱でも傷付く事でもなく5秒間より長い退屈で、そんな退屈はすぐ飛ばしてくれるものばっかりが溢れててありがたい。機嫌が表に出る人って嫌いなんだけど最近私それなんじゃないかって自覚してもうめちゃくちゃ嫌なので、なんとかいつも翌日の希望の事を思いたい、記録するとやなこととかがほんっっとにしょーーーもなくて自分の小ささにビックリするんだけど、ちいさないいことをいいことと思えるのはなんか豊かになった感じがしてなんだかいいよね。そんで反省はちゃんとその日のうちに処理しよう。
無理にあげたテンションはいつか下がるし手帳だって雨に濡れたりグシャッとしちゃったくらいできっとこの高揚感もあっさり色褪せちゃったりするかも、いや多分するんだけど、だって日記が3日以上続いたことなんてなかったし片した部屋も1週間たったら散らかるし、帰り道はいつだってダッシュしたいくらいテンション高いけど朝にはまた地面転がりたくなるしね。でもまた思い出したらきれいな薄紙に丁寧に文字を乗せたり出来るかも、そのくらいの望みを持ったっていい気がする。だってどうせまたどうにもならない陰鬱もバカみたいに忘れて全部が美しい日くらいすぐに現れるんだからね。

言葉を尽くしても足らない

人間

人間

プレゼンが苦手です。伝えるのが苦手だから絵とか言葉以外の表現に逃げるのは絶対的に間違いで、結局言葉にしてそれをプレゼンしないとイチミリだって伝わんなかったりして、やっぱ逃げらんないんだってがっかりする。この言葉で合ってるのかとか、素っ頓狂なこと言ってんじゃないかとか、ああまた空気読めない、配慮が足らない事言っちゃったかもとか、そんなんが全部全部怖いじゃん、しかも実際よく配慮が足らない事を言ってしまって毎日毎日後悔して苦しい、って言うことで馬鹿だってこと自覚してわかってるんですってことをアピールしたいってことじゃないんですけど、でもやっぱ馬鹿を自覚しないくらい馬鹿ならなあとか思っちゃうくらいには馬鹿だし、昨日の事、1年前、中学生の頃の失言とか忘れたって言い聞かせながら覚えててそんなん全部捨てられないまま身動きとれないまま埼玉の、生まれた時から住んでるところで身じろぎしながら生きてくのかと思うとうんざりする。適当に口から出るこういう目が滑るような文とか言葉でそういうので誤魔化しながら、いや誤魔化せてないし劣悪化するだけだけど、こういうので遠回りしながら歪さを、一本の木から掘って型作るみたいにして、そんで伝えたいとかって思うことってせいぜい3つくらいで、開いたかえるの標本みたいになったそれがきれいだったらもうそれでいいって思う、それがきれいじゃなかったらもう全部捨てなきゃなあ。仲良くしたい人と話すのが好きなんだけど、仲良くしたいなあと思えば思うほど身構えて言葉を尽くして本質は伝わらなかったりして、本当はうわずみだけ全部あげれたらいいんだけど薄ら気味悪いよね。


火曜日

中学生くらいから「ああやらなきゃいけないことが本当に大事なやらなきゃいけないことがいっぱいあるのに、自分がだらしなくて怠け者なせいでまったく出来ていない」という鉛みたいな強迫観念が足の爪先から喉元までぎゅうぎゅうに詰まってて今日のこの一瞬まで全く消えない、そりゃ楽しい時は忘れるんだけどすぐ戻る、やらなきゃいけないことが出来ていないせいで理想のかっこいい自分にイチミリだって近づけない、宿題とか課題とか受験のせいでこんなずっと重い気分なのかと思ってたけど大人になって宿題が無くなっても全然無くならない。今書いてる文だってこのブログだって全部全部言い訳でしかないし、ぬるま湯みたいな逃げでしかなくってまた言い訳してやらなきゃいけないことから逃げてるって悪い事してるわけでもないのに罪悪感ばっかり溜まってく、自意識が過剰すぎるのでもう手放したいってずっと思ってるし自分語りのクソダサさもよっくわかってるから痛くてしょうがないよね。ちゃんとちゃんと見たもの感じたこと全部消化して形にしたり、形にしなくても飲み込んですっとエネルギーに出来る人がうらやましい、こんなのは超カッコ悪くって許せないし電車でゲロ吐く酔っ払いが毎日憎くてしょうがない。あなたはスッキリしていいですね。それともみんなみんなこんな重い鉛が喉元までオエッてきてるのになんでもないような顔ですごしてるのかしら、こんなん書いたり人に言ったりしてちょっとだけイチミリだけスッキリしたって明日にはまた喉元まで上ってくるよ、明日こそは吐き出したいって毎日毎秒思って、こんなのすら秘密に出来ない自分に全部全部吐き出せる日なんてくるのかな。大きい音で音楽聴いたり面白くって笑ったりする時は忘れられるんだけど…って今アンディモリ聴いてて思ったけどそういうのって、忘れる為にあるんじゃなくて吐き出すためにあるんじゃないの、幸福も不幸も吐かなきゃ喉元まで溜まる一方なんじゃないの、そんでもしかして一気に吐いてスッキリするものじゃなくて一生かけてちょっとずつしか吐けないんじゃないの、それが仕事だったり表現だったり言葉だったりするんじゃないの?!うわー長い戦いだぜ!!小出しにしたら小作だしドバッと出したら大作だし大作を吐ける器じゃない可能性高いけど明日こそはって毎日の中で掃除したり謝ったり文字ツメたりありがとうって言ったりしよ。げろげろ

ノーヒットノーランで君がヒーロー

K-PRO耐久LIVE第二弾・モグフェス、8公演参加しましてまー全部超楽しくて本当にあっという間だった!8公演も観たかしらっていう、本当にすぐ終わっちゃって、まあ体はめちゃくちゃ疲れたけど、まーーすぐ終わっちゃった。まわりの人ほどそんなにライブ通ってないので、モグライダーの事好きかな〜観れると嬉しいな〜って思いだしたのここ1年くらいのもので、まわりの人みたいにたくさん観てないし知らない事ばっかりなんだけど知らないからっていうのも相まって、こういう言い方そんな好きじゃないけど俯瞰で見てる感覚がちょっとある、あーこういう言い方は本当にダサくて好きじゃないんだけど(渦中にいる方が絶対的に楽しいんだから)!遠巻きに見てる憧れのクラスメイトみたいな。だからモグライダーが大事な人や場所をすっごく大事にしてて、その人達から大事にされて、っていうのを目の前でたくさん見せてもらって、ああやっぱりかっこいい!ってそりゃ思うよ。
2公演目の芝セレクションネタライブがすっばらしくて、1番手のサッチから全組めっちゃくちゃ面白くて面白すぎて途中ぼうっとするくらい面白かったんだけど、芝さんによる各芸人さんの紹介がまたとんでもなく素晴らしかった。エルカブキ上田さんの事を「この人には嫌われたくないなあと思って生きてる」とか、錦鯉(私ごく最近錦鯉を認識したんですけどすっっごい面白いですね!!自分のTLでやたら人気で気になってたんだけど知れてほんとに良かっためちゃくちゃ面白いすごく好きです、あと隆さんかっこいい)のことは「もし自分にお兄ちゃんがいたら隆さんみたいな人だったと思います、で『お兄ちゃん、どうしてこの人と仲良くするの?!この人の肩もつの?!』っていうのがまさのりさん」。すっごいたまらない表現をするな芝さんっていう人は!ってはっとして、ああこの人も宝物を集めて歩いてる人だと思った。
全部背負い込むタイプの人がいると思うんですよ。ハマカーンの浜谷さんとかもそうだと思ってて、まあ勝手に思ってるんだけど(どうだよ気持ち悪いだろう)、自分のやさしさはぽろぽろまわりにこぼして振り返らなくって、かわりに宝物ばっか両手に抱えて歩いてく人、宝物のことをひとつひとつよっくわかってて、全部大事に出来る人。そういう人ってヒーローだ。芝さんのヒーロー感ってそういうことかもわかんない。遠目で見てるとヒーローは弱音も吐かないし、全部背負い込んで疲れちゃわないのって思うんだけど、ソロライブで観た甲子園(はじめて観た)の芝さんはキレッキレでともしげさんは汗だくだけど超面白かった、2月だけどあの甲子園は炎天下の夏だったし全力の二人はまぎれもなくヒーローだった。いつだってみんなヒーローが好きだ。
ヒーローはどこまでも全力ダッシュで駆け抜けてって欲しい、ぽろぽろこぼしたやさしさはみんなの胸でちいさな星みたいにいつまでも光るから君の足元を照らすよ。

繰り返す夢の話

お笑いを好きになったのが19の時だから6年くらい経つ、まわりの人に比べたら結構短い方だと思うけどそれでも一般的に人生で一番輝かしいと言われる20代前半に私は何をとか思わないこともない、このままこういう生活がずっと続くのかな?と思うとハチミツとクローバーの中で誰かが「見送るばっかりで教師なんてのは永遠に卒業出来ない、学校の亡霊みたいなものなのか」というような事を言ってたのを思い出す(これは2年周期くらいで移り変わってく客席をずっと見ていく芸人さんの方が思う事かもわからないけど)。
長く何かをずっと好きな人がカッコいいと思う、私はミーハーで飽きっぽいし雑だから何かをずっと大事にしてくのは結構難しいって事に最近気付いた、だから長く何かをずっと好きな人に強烈に憧れる。
ところで今年のR-1ぐらんぷりがブッ倒れそうな程楽しかった、仕事でリアルタイムで見れなかったんだけど、とんでもない速さで進むタイムラインに一喜一憂して録画で興奮して声あげて笑ってそれはもう楽しかった。
最近マツモトクラブさんおもしろい~しかもかっこいい~!とかわーわー言ってヨシ本腰入れて推すぞー!と思ってた矢先に大活躍でー!もー!ストリートミュージシャンのコントと、2本目は御賽銭のコント。面白かったー!前々日に日本一のピンネタライブに行ったんだけど、そこで2本目の御賽銭を観れてよかった。ライブで観たものがテレビでどかどか受けてると興奮する。ていうか最近わーわー言ってたのも多分こう爆発する前の輝きみたいのに引き寄せられてたのかもしれないしまわりはとっくに見つけてた人ばっかりなのでどミーハーではずかしい!でも好き、もっとライブで観たい、追っかけたい、どこがどうこう好きとか言える程回数観てないからあんまし言及出来ないけど一人コントでこんなツボなのはじめてなので新鮮、すごく好き。優勝したJDことじゅんいちダビッドソンもバキバキに面白くって、やさしくてたのしい、最高の大会だった!まだまだ賞レース夢ばっかりある、全然ある。
長く何かをずっと好きな人がカッコいい思う。長く何かをずっと好きな人の好きな人にスポットライトが当たる時はその光景が美しくって涙が出る。でもスポットライトが当たる時のことは信じてたって信じてなくたっていいと思う。
お笑い好きになってからまだ短いけど本当にずっと楽しい、飽きっぽいからこれからも絶対ずっと好きとは言えないけど、悲しい事もたまにあっても、それも差し引いてこんなのがずっと繰り返してっていいように思えるくらいは。ここには夢ばっかりある。亡霊でいいよ、ずっと楽しいから追っかけるだけで最後の答え合わせの事なんて誰も考えてないよね。